白金通信(明治学院大学季刊誌) 2007年7月号
本書は、バッハ研究で知られる本学芸術学科教授樋口隆一氏の、ここ15年間の論考を纏めたものである。研究者と指揮者、いわば「理論と実践」の両立場から丹念にバッハの楽譜や資料を読み込み、国内外の豊富な交友関係にも支えられたその考察は、バッハをモチーフに古代ギリシャから現代まで幅広い範囲に及ぶ ー バロック音楽を当時の美術や建築、宗教的背景と関連づけて解説する導入部分、自らの上演経験に基づくバッハ作品の初稿と改訂稿の比較研究、世界的なバッハ研究の最前線レポートといった、より専門的な掘り下げ。さらにスポットを後世の作曲家たちにもあて、バッハが彼らに与えた影響を多角的に辿る構成は、音楽史上最も偉大な存在を中心に、時代や分野を超えて広がる壮大な芸術世界を垣間見せる。まさに書名に相応しい充実した内容である。
「バッハとシェーンベルク」と題する第II部が個人的には特に興味深く感じられた。ウィーンのシェーンベルクセンターでの研究生活で著者が渉猟した豊富な資料から、約200年の隔たりを持つバッハとシェーンベルクの革新的創造の原点を、それぞれの「12音技法」という共通項で結びつけるダイナミックな視点にははっとさせられる。また、中世の世界観や音楽理論に遡り、バッハの音楽をヨーロッパの伝統的精神世界の粋として捉え、そこに彼の影響力の大きさ、歴史的価値を見出す論考も深く得心のいくものである。
本学に関わる記述も多く、学院関係者にはその点も興味深いことと思う。
望月 京 (芸術学科准教授)