舞台作品

«パン屋大襲撃»
(2008) 原題《Die große Bäckereiattacke》

2Fl.2Cl.Sax.Fg – Hn.Trp.Trb. – 2Perc – Electric Guit. Accordion – Pf – 2Vn.2Va.Vc.Db – Live electronics

原作:村上春樹『パン屋襲撃』『パン屋再襲撃』
脚本:ヨハナン・カルディ、ドイツ語訳:ラインハルト・パルム

委嘱:ルツェルン劇場、NetZZeit (ウィーン)、オペラジェネシス(ロイヤル・オペラハウス、ロンドン)
初演:2009年1月24日 ルツェルン劇場
ヨハネス・カリツケ指揮ルツェルン管弦楽団
ルツェルン劇場専属歌手:スミ・キッテルベルガー(ミヤ)、ハンス・ユルグ・リッケンバッヒャー(クニ)、ボリス・ペトロニエ(パン屋)、ペーター・ケンネル(マクドナルド店長)、シモーネ・シュトック(マクドナルド店員)、ハワード・クロフト(マクドナルド調理係)

ルツェルン劇場合唱団

クリストフ・マゼラ(電子音響)
ミヒャエル・シャイドル(演出)、ノラ・シャイドル(衣装、大道具)、カロリーネ・ウェーバー(ドラマトゥルグ)

55 min.

出版:ブライトコップフ&ヘルテル社


村上春樹の小説には、日常と非日常、あるいは現実と非現実の「はざま」の世界が共通して物語られていると思います。日常にふと垣間見える異次元の世界。それをいかに音楽で表現するかが、この《パン屋大襲撃》に限らず、常日頃の私の作曲における、一番の興味でもあります。

この作品のウィーン公演を演奏したクランクフォールム・ウィーンのマネージャー、スヴェン・ハートベルガーが書いているとおり、希望の原作者を問われて「村上春樹」と即答したのは、それが最大の理由でした。私は作曲行為を、世界のしくみを理解するための考察ツールだと捉えています。彼の作品以外、普段ほとんど小説は読みませんが、さまざまな分野における諸研究について、私なりの体系で理解を試み、連関を探り、自分が生きる現代を支点とした音楽を書きたいと常々考えています。私の答えを聞いて、スヴェンが偶然に驚きつつ取り出したのが、原作として彼が私に提案するつもりで持っていた、「パン屋襲撃」「パン屋再襲撃」を含むドイツ語版村上春樹短編集でした。

私が一番音楽化してみたかったのは、実は「羊をめぐる冒険」や「ダンス・ダンス・ダンス」なのですが、舞台作品を初めて作曲する私のために、ウィーン、ルツェルン、ロンドンの、演出家やドラマトゥルグなどを中心とする「ブレーン」のような制作グループが組まれ、彼らの、「『パン屋』こそ劇作品として非常に優れた原作である」との意見に、未経験の私は素直に従いました。

彼らのアイディアで、まもなく「パン屋襲撃」「パン屋再襲撃」を原作とする台本コンクールが行われ、集まった127作の中から、イスラエルのヨハナン・カルディの作品が1位に選ばれました。彼は、数年前のクリスマスにご子息から贈られたというこの物語に魅せられ、偶然にもイスラエルでのオペラ化を計画していたとのこと。台本の審査には、彼らのほか、初演以来この曲を指揮するヨハネス・カリツケも加わっています。その台本をもとに、脚本家と私を加えた上記制作グループメンバーで、2007年の10月までに、計3回のワークショップをロンドンとウィーンで行いました。ワークショップでは、原作の解釈や、演出や作曲のためのアイディアが、それぞれの立場から数多く話し合われ、編成も含めた音楽上の彼らの希望を、私はすべて聞き入れて作曲したつもりです。私からは、選ばれたこの台本の特徴と魅力のひとつは、そのテンポの早さやリズムにあると感じたので、そこを強調するために、脚本のドイツ語翻訳をお願いしました。原版の流れるような英語の響きよりも、子音の破裂音を多く含むドイツ語のほうが、安全快適な生活を送る主人公を突如襲う飢餓という「違和感」に呼応するのではないかとも考えたのです。

日常の中にひそむ異空間の表現として、私は、現代のスピード感あふれる会話に近い歌唱法(ラップなど)と、非日常としての歌とを、対比させるのでなく、マーブル模様のようにまだらにちりばめたいと思いました。日常の時空間と異次元とは、くっきりと対比的にではなく、そのような相互侵蝕に近いかたちで、絡まるように存在するのではないかと考えたからです。また、脚本に書かれた多くの細かなパロディ −−たとえばチャップリンの「モダン・タイムス」、ワーグナーの《タンホイザー》や《神々の黄昏》、イタリアのロマン派オペラにおける「英雄」のストレッタ、アメリカのミュージカル作曲家コール・ポーターのジャズソングなどの引用−− も、なるべく脚本家の希望どおり取り入れてみました。

そうした異なる歌唱法や音楽語法が、夢のように、あるいは現代の時の流れのように、すべてがすばやく過ぎ去っていく時間の中で、並置的、並行的に呈示されるため、全体的には、日本語で読む村上春樹の作品世界が持っているある静謐さとはかけ離れたドタバタな印象を与えるかもしれません。「オペラ」という呼び名が一般に喚起するゴージャスなイメージとも一線を画した音楽ですが、異なる時代やジャンルの雑多な要素が共存するという点で、きわめて現代的な様相を帯びた「オペラ」なのではないかと思います。そのような、時空間を超えた多元性や、表面的にも隠喩的にも、さまざまに読み取れる表現の多義性、多層性はまた、村上作品の大きな特徴でもあるのではないでしょうか。

このオペラプロジェクトが、オーストリア、スイス、イギリス、ドイツ、イスラエル、日本と多国籍のメンバーの密なコラボレーションによって制作・初演されたことで、多種多様な村上作品の解釈が音楽の中に織り込まれることになったのは、私にとって非常に興味深い体験でした。

このたび、イタリア育ちの粟國淳さんが、さらにどのような演出でこの作品に新たな命を吹き込んでくださるのか、新制作による日本初演を楽しみにしています。

望月 京

(サントリー音楽財団40周年記念 東京公演プログラムより)

パン屋大襲撃